しまファミリー

日本人家族がドイツに駐在した記録!

アメリカ人友人と再会。しかし!

どうも!
ドイツ語とギタ-教室が同時にある大切な日ですが
アメリカ人友人がたまたま仕事でドイツに来ていて
その日だけしか空いてないってことで学校には当然行かず
ランチ&散策してきましたが
ドイツ語から遠のいているこの状況。。。。

で、2時間ほどランチしたりトークしたりしましたが
日本語が話したくてしょうがないアメリカ人だったはずなのに
気づけば英語しか話さないアメリカ人になっていたことに驚き!
そして、やっぱり出会ったころはお互い19歳とかだったので
あのころはやっぱり若かった。。。。でも今もトークの内容はほぼ変わらず。。。みたいな感じでした。
19歳で出会って、一番最近会ったのが13年前に東京で、
昨日お互い41歳で会っているというこの歴史の長さ!

しましまの英語が超ヤバいということに気づいてしまいこれにもびっくり。
でも面白いのが、
ドイツ語漬けの毎日の中で突然英語を話すことになると、
ドイツ語文法の中に英単語が入るという、2年前とは逆の現象が起こるわけです。
ある意味ドイツ語が上達してるってことですかねぇ。

あとは数字がヤバいですね。
2桁の数字が英語読みできないという恐ろしい事態にまでなってます。

そしてもっとびっくりなのが、
ランチをおごってもらったのですが、
友人が出したカードが「アメリカンエクスプレス。」
もう印籠みたいな勢いで、俺はアメリカ人だぜアピールができるわけですが
もちろんドイツ語なんてできないので英語で店員と話すと、
店員がここぞとばかりに「英語ではこれってどう表現するんですか?」とか
とにかく店員がアメリカ人に対しての積極的すぎる英語接客&持ち上げっぷりがハンパなくて

・・・・・日頃、いかにアジア顔の自分らがドイツで差別視されているか理解できました。

やっぱり目には見えなくても、黒人と同様に、アジア顔だと差別を受けて生活するものです。

ドイツ人の接客はぶっきらぼう
これって多分基本はぶっきらぼうですが、アジア人だとあえてぶっきらぼう度が増す傾向アリだと
今確信しましたネ。

今はすっかり慣れましたが、差別慣れをすると
昔黒人が奴隷だった時期に、なぜ奴隷全体で立ち上がって応戦しない理由がわかるもんです。
差別を受け続けると精神の奥底から腐ってくるもんですね。
体験中でーーーす♪

ってことで、まあしましまは適応能力が高めっぽいので
海外でも差別を受けても基本OK牧場(死語)ですが、
いじめとか差別とかマジで撲滅したいッスよねーーーー。

でもやっぱり日本でだってイケイケの若者は老人を差別したり
金持ちが貧乏人を差別するわけで
結局差別とかいじめってのは確実に存在するわけです。
カブトムシはオッケーなのにゴキブリがNGというのもある意味差別なわけで
結局見た目で判断して駆除するのが人間なんでしょう。

これを乗り切るには、
精神的にタフになること、
精神の奥底が腐ってしまったことを素直に受け止める、
アジア顔で差別されてもアジア顔だから仕方ないのねという気分で挑む
そして自分が生かせる分野で楽しみを見出す
しかないみたいです。
完全に奴隷みたいな精神になってますが、実際海外で暮らすのは奴隷的精神じゃないとやっていけないと思います。
周囲から気にいられる奴隷になるわ♪くらいの勢いで挑みたいッスね。

本当にアメリカって、というか英語を話すイギリスもですがすごい国だ、と思います。
やっぱり戦争ってのは確実に勝たなきゃいけなかったわけだなと痛感してしまいます。
そして戦争ってのは一人で戦ってもダメで、同盟を結んで卑怯な手で相手を囲い込むことが必要で
日本は多分こういうことが弱かったんだろうなと思いますね。

無論戦争とかテロ、暴力行為は大反対ですが
戦争にしてもビジネスにしても何にしてもそう、
英語圏の人間と交渉するには実力じゃなくて囲い込み戦術みたいなのが必要になり
そういう時にオレ様オーラを出しつついろんな人とつるんだりする行為ができるようになりたいもんですネ。


っつーか白人?!
白人に生まれただけでどんだけすごいメリットがあるんだ!と思いますね。
日本人に生まれてよかったときは毎晩白飯(シロメシ)を食う時に思うだけで
あとは特によかったなんて思いませんが、
本当に白人でアメリカに生まれた人は恵まれてると思います。